つづき

問題は「死ぬ」の定義にあるんじゃないかと思う。
 
後者は「人間は必ず死ぬ」を前提としている。
この「人間は必ず死ぬ」という命題は証明されていないが、今のところ反例はない。
現状では真として問題ない命題と言える。
そこから健全かつ妥当な推論となっている。
 
一方で前者は
「死んだ人間は死なない」を前提として用いている。
だが、この「死んだ人間は死なない」は
「死」の意味をどう捉えるかにより真偽の評価が分かれる。
たとえば、

医学的、あるいは法的に「死亡」と見なされた瞬間

を「死ぬ」と定義するのなら、なるほどすでに死んでいる人間は(再びその瞬間に遭遇することはないから)死なない。
だが、

「死亡」と見なされる状態にあること

を「死ぬ」と定義するのなら死者は常に「死ぬ」ことになる。
つまり、この場合前提を真と断言できないわけである。
故に前者は推論として妥当にならない訳だ。
(とはいえ後者は日常会話における「死んでいる」(≠死ぬ)の定義といえなくもない)
 
が、前提は真と解釈することも可能なわけだから、少しいじれば前者も正しく見えてくる。
たとえば
ソクラテスは死なないよ。だってもう死んでるし。」
 
でもこれはあくまで”感覚的に”であって、論理的に正しいかどうかは別の話。
(ちなみにもし上の例を正しいと思えない人がいたなら、
 まさにそれが”感覚的に”正しいに過ぎないが所以です)